十三浜小指-八重子おばあちゃんの日記

十三浜小指は宮城県石巻市にある小さな集落です。八重子は大正8年(1919)生まれ。昭和24年(1949)12月から始まる日記。

昭和二十六年 八月一日

八月一日土曜 晴
 おそい分は三時頃箱から分けた。
 夜は早い分に桑づけた。五十枚ばかりです。
 
八月二日日曜 晴
 朝はみしょうを取って夕方は入山の赤木をとった。
 
八月三日月曜 晴
 朝は寺の上の赤木をとった。風が吹いて夕方は
 さき山のねずみがへしをとった。
 毎年二眠まではねずみかへしで育てるが、今年
 は新葉がなくてしまのちをまぜた。
 
八月四日火曜 晴
 朝は分家のやき山をとって来て夕方はさしみず
 のねずみがへしをとってきた。
 夜はねあみを入れた。

昭和二十六年 七月二十二日

七月二十二日金曜 晴
 箱洗ひをした。お父さんは棚つりをした。
 種は夜の中にきて分けた。
 
七月二十三日土曜 晴
 今日は掃立をした。
 九時頃はいた。給桑は今日は三回でした。(七十五瓦)
 
七月二十四日日曜 晴
 雨が降らないため新葉がなくて固いので
 とてもひどい。
 
七月二十五日月曜 晴
 一眠中に箱数は十七です。
 家では七十五瓦。すばやは十九瓦です。
 
七月二十六日火曜 晴
 今日はよどみに入った。
 消毒粉ぐすりをふった。
 
七月二十七日水曜 晴
 今日の三時頃桑づけた。
 二回ばかりやわらかい桑がよいそうです。
 
七月二十八日木曜 晴
 仙台から大杉先生がきて蚕を一軒一々みんな廻って見た。
 私の蚕室を写真取ってくれた。
 とてもよい先生でした。
 
七月二十九日金曜 曇
 さしみずへいって、すまのちを取ってきた。
 夜あみいれをして二重にした。
 二眠中は箱数は三十四でした。

昭和二十六年 七月十九日

七月十九日火曜 晴

 今日はやっと家へかえった。

 十五日ばかり石巻に居た。

 五千円ばかりかかった。

 ほし草刈りでお手つだいが来て終わった所でした。

 天気つづきでとてもよいあんばいでした。

 

七月二十日水曜 晴

 朝雨がふったのではやすみねへ大根まきにいってきた。

 まちにまった大根まきもやっとした。

 お墓まいりにさき子と厚子と三人でいってきた。

 虫ぼしをした。

 

七月二十一日木曜 晴

 すすはきをして、養蚕の準備をした。

昭和二十六年 七月六日

七月六日火曜 晴

 今日は手を五日ばかりそのままにしておくので

 家へかへった。

 

七月七日水曜 晴

 さき山を二ばんした。

 豆は日でりで、やっとおがって居た。

 

七月八日木曜 晴

 朝さしみずへほし草を刈りにいってきた。

 はやすみねに草取りにいったが、いもが枯れそうで

 桑畑を草取った。

 

七月九日金曜 晴

 二回目石巻へ行った。

 先生があらいので、子供が泣くのでほんとに困った。

 手はとてもひどかった。

 

七月十日土曜 晴

 手入れ代前の日は七百二十円、今日は七十円取った。

昭和二十六年 七月一日

七月一日木曜 晴

 やき山いも堀りをした。

 ずいぶん大きくてよろこんでほった。

 向ふの畠三枚から十九でた。

 こちらから十一でた。

 土も毎日の天気つづきでかんそうしてとてもよかった。

 

七月二日金曜 晴

 いもほりをした。

 はやすみねから二十ばかりでた。

 

七月三日土曜 晴

 若布の開口でした。

 お天気がよくてなによりでした。

 

七月四日日曜 晴

 若布の口開でほし方をしないから、午後から妹と

 あななぐち二ばんにいった。

 

七月五日月曜 晴

 石巻へ達夫を連れて手を手術をした。

 とても姉さんと二人でひどかった。

 子供に泣かれて涙を人知れづ流した。

 

七月六日火曜 晴

 今日は手を五日ばかりそのままにしておくので

 家へかへった。

昭和二十六年 六月二十六日

六月二十六日日曜 晴
 村で朝早くこんぶ取りをしたので
 私はほしかたにいった。
 田を見にいった。
 いまのところはよいそうです。
 
六月二十七日月曜 曇
 正子は青年団で川開を見にいってきた。
 私はいもほりをした。
 
六月二十八日火曜 曇
 わかめの赤羽とりをした。
 一日かかった。
 
六月二十九日水曜 曇
 わかめの出荷でした。
 家では七俵だした、
 はやす峯のいもほりをした。
 
六月三十日水曜 晴
 家の造作が終わった。
 夜は大工さん達においしいごちそうをした。
 りっぱに出来上がった。
 とても気持ちよく大工さん等もよろこんで帰った。